長崎県指定の史跡として、野々川キリシタン墓碑群があります。
 ここの「ツンノオ」という墓地には、後々に数えたところでは全部で21か23の墓石があります。
 そして纏まってあったこの場所を区画し、キリシタン墓碑群としてそのままに残してあります。全部で6つの墓石があります。
キリシタン墓碑群で説明
長崎県指定の史跡として、野々川キリシタン墓碑群があります。 

 ここの「ツンノオ」という墓地には、後々に数えたところでは全部で21か23の墓石があります。
  そして纏まってあったこの場所を区画し、キリシタン墓碑群としてそのままに残してあります。全部で6つの墓石があります。

  やはり年数が経ってくると苔が生えたりして見にくくなっていますが、これは約400年ほど昔のキリシタンが一番栄えたときの墓です。ここは野々川郷の富永さんと山下さんに管理をしていただいていますが、はっきりとはその人達が先 祖であるかはわかりません。

 これはキリシタンが一番盛んなときの墓でありますが、当時お侍さんや士分の人たちはきれいな石塔の墓をたてていますけれども、普通の人たちはそのような墓を許されていませんでした。それで、このように自然石で墓石が立ててあるのです。 

 墓には「切り十字」や「ラテン十字」、「アンドレアス十字」、「ギ リシャ十字」などで刻んであります。そのような十字は宣教師が、その時西洋で流行っていた十字の切り方を選んで刻んでいるのです。
 また、岳村さんの墓には「縦十字」の墓があり、久保田さんの所には、特に大きな墓があって、20センチくらいの十字の墓があったそうです。この「ラテン十字」とか「ギリシャ十字」というのは年代で違うそうです。結局宣教師が布教した約60年くらいの間の墓だそうです。
キリシタン墓碑群
  それで、時代考証をするために、長崎大学の内藤先生という人が30年前にこの墓のーつを掘り起こして調べた結果、その墓に埋葬されていた人は今から430年くらい昔の人で、年齢は40歳くらいで、背丈は約140センチメートル、女の人であったろうとされています。 
 不思議なことに下の歯が全部抜けてしまっていました。典型的な江戸庶民の顔と言うことですから結局あごの張った普通の人だということですね。そして調べた後はまた戻され たそうです。


 平成14年の野沢義典さんの話をもとに構成 

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