昔、野々川の運動場あたりにお寺があったそうです。しかし、キリスト教が広まった頃に壊されたようです。 何というお寺かわかりませんが、たまたまこのあたりを「シイレジ」といいます。字は「水蓮寺」と書きます。それで、もしかしたらお寺の名前ではないかと思っているところです。お寺があってそこでは相撲があっていたそうです。
野々川は昭和23年に23水といって有名ですが、上野の川の上山のちょうど佐之木さんの茶園畑の下の竹山が土砂崩れを起こし、太田勇さんの家まで土砂が流れ4名の人が亡くなりました。 そのような嵐がたびたびあり、水害が起こる時期がありましたが、そのときは波佐見川も氾濫してしまい、湯無田の館橋が足膝までくるくらいに水かさが上がっていました。それで水の調節を目的に、野々川を治水ダムにしようということで決まったので、家を動かさなければなりませんでした。 そして昭和4 7年に105万トン容量のダムが完成しました。